千利休をはじめとする数々の文化人や織田信長、豊臣秀吉などの戦国武将にゆかりのある京都・禅宗の大徳寺。
年に2回、春と秋に一部が特別公開になります。
2024年秋では3年ぶりに特別公開される「真珠庵」では寺宝『源氏物語図屏風』を初公開!
特別に一般公開される塔頭は、
- 『真珠庵』
重要文化財と指定されている茶室や書院、遺跡名勝の庭園、紫式部が産湯として使っていた井戸。特別公開の源氏物語屏風の展示。 - 『黄梅院』
織田信長が創建し、のちに豊臣秀吉が増築するなど戦国大名ゆかりの場所。直中庭は千利休が66歳の頃作庭 - 『総見院』
羽柴(後の豊臣)秀吉が、本能寺の変に倒れた織田信長の追善菩提のために建立、木造織田信長公坐像は重要文化財 - 『興臨院』
足立美術館の作庭者の中根金作氏が復元した方丈庭園、室町時代の建築の特徴を表す唐門
塔頭(たっちゅう)とは、禅宗で高僧の塔のあるところ。大徳寺では20以上の塔頭があります。
特別公開の日程と拝観料
日程
早いところでは8月下旬から特別公開が開始しますが、
庭園を彩るもみじは11月中旬から12月上旬までが見頃だと言われています。
院によって公開の予定日が違うので公開期間は要チェック。
- 『真珠庵』2024年9月20日(金)~12月8日(日)
※休止日が10月21日(月)、11月24日(日)~26日(火) - 『黄梅院』2024年10月5日(土)~12月8日(日)
※休止日が10月28日(月) - 『総見院』2024年10月7日(月)~11月30日(土)
※休止日が11月21日(木)・22日(金) - 『興臨院』2024年8月31日(土)~9月21日(土)、9月28日(土)〜12月15日(日)
※休止日が9月28日(土)~12月15日(日)
※法務の都合により拝観休止日が増える可能性有
拝観時間
真珠庵 | 9:30 ~ 15:30 (受付終了) |
黄梅院 総見院 | 10 : 00 〜 16 : 00(受付終了) |
興臨院 | 10:00 ~ 16:30 (受付終了) ※12月2日(月)以降は16:00受付終了 |
拝観料
真珠庵 | 大人2,000円・高校生1,000円・小中学生500円(保護者同伴) |
黄梅院 総見院 興臨院 | 大人800円・中高生400円・小学生以下無料(保護者同伴) |
知っておくとより深く拝観できるポイント
寺院内の建造物などの名称
それって何?を知っておく
大徳寺には20以上の塔頭があるとご紹介しましたが、
塔頭って何かご存知でしたか?
※忘れた人はスクロールアップ⤴️
仏教用語や歴史文化に関連する語は
ふーん、で済ませると勿体無いので
少し学習して拝観すると理解も深まるでしょう。
例えば、大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山なのですが、
大本山とは仏教の一宗派の末寺を総括する寺のこと。
宗派の最高位総本山の次位に当たります。
とはいえ、臨済宗大徳寺派には総本山はなく、大徳寺は事実上トップのようです。
さらに、大徳寺には20以上の塔頭がありますが、『大徳寺』と呼ばれる塔頭はありません。
20以上の塔頭のまとまりの総称が大徳寺なのです。
漢字をそのまま読まないことも
国宝や重要文化財でもある歴史的なもの、ことに仏教用語はそのまま読まないものがあります。
日常あまり見かけない漢字に加えてその並びをそのまま読まないこともあるので予め知っておくといいでしょう。
例えば、
- 法堂(はっとう)とは、仏教寺院において、僧侶が仏教の講義をする建物のこと
- 方丈(ほうじょう)とは、一丈(約3メートル)四方の(の室)。禅宗寺院の住持や長老の居所。転じて住職を意味することもある
- 七堂伽藍(しちどうがらん)とは、禅宗では、山門・仏殿・法堂・庫裡・僧堂・浴室・東司の7つ
- 庫裡(くり)とは、寺院の台所や僧侶の居住する場所
- 東司(とうす)とは、禅宗寺院でのトイレの通称、雪隠とも
お坊さんたちの生活を垣間見る機会ですね。
時代背景と文化、文化人(有名人)
茶の湯
秀吉が大徳寺大茶会では茶席を設けたと総見院方丈に記録が残るなど、
総見院と茶の湯は関わりが深く、茶室が3つ並んでいます。
戦国大名たちは茶の湯を政治的側面で嗜んでいました。
特別公開される黄梅院では、
安土桃山時代で活躍し茶道 (茶の湯) を確立させた千利休が秀吉の命により作庭した「直中庭 (じきちゅうてい)」や
利休の師・武野紹鴎 (たけのじょうおう) 好みの茶室「昨夢軒(さむくけん)」が、
真珠庵では侘び茶の祖、村田珠光 (むらたじゅこう) 作の「七五三の庭」も公開されます。
枯山水
枯山水とは、水を一切使わすに砂と石だけで山や水の景色を表現した庭園のこと。
枯山水が流行したのは室町時代後期で、禅宗が室町幕府に保護されたことが背景にあり、枯山水の庭は散歩する場所ではなく建物の中から心静かに鑑賞するための存在です。
高い精神性と抽象性を併せ持つこの庭園は、ある人には大海原に浮かぶ島々が、ある人には広い青空に浮かぶ大きな雲が見えると言うように、見る人の心境によってその様々な感じ方・解釈が生まれます。
黄梅院の方丈庭園「破頭庭」、興臨院の方丈庭園は見応えのある美しい景観が楽しめます。
室町時代からの日本史をざっと洗い直す
大徳寺にゆかりのあるスーパースターは何も茶人の千利休だけではありません。
社会の教科書に必ず出てくる名前なのでご存知でしょう。
ここでは主な有名人と大徳寺との関わりをざっとまとめました。
- 一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
- アニメ一休さんのモデルとなった一休宗純。
室町時代応仁の乱で荒廃した大徳寺を一休和尚が復興
- アニメ一休さんのモデルとなった一休宗純。
- 織田信長
- 1562年、織田信長が父・信秀の追善菩提のために黄梅院を建立
本能寺の変の後、秀吉によって総見院に祀られる
- 1562年、織田信長が父・信秀の追善菩提のために黄梅院を建立
- 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)
- 本能寺の変で倒れた織田信長の葬儀を総見院で絢爛豪華にとりおこなう
黄梅院の「直中庭 (じきちゅうてい)」を千利休に作庭、後に切腹を命ずる
- 本能寺の変で倒れた織田信長の葬儀を総見院で絢爛豪華にとりおこなう
- 細川忠興(ほそかわただおき)と妻ガラシャ
- 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊前国小倉藩初代藩主
和歌や能楽、絵画に通じた文化人で千利休を師事、利休七哲のひとり
正室ガラシャを溺愛 - 正室の細川ガラシャ(洗礼名、実名玉子)は明智光秀の娘
竹林のある片隅にひっそりとたたずむ高桐院に眠る
- 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊前国小倉藩初代藩主
- 毛利元就(もうりもとなり)
- 戦国時代に郡山城を拠点として中国地方のほぼ全域を制覇し、一代で大国を築き上げた「戦国の雄」と称された織田信長の最大のライバルの戦国大名
毛利元就の三男・小早川隆景の協力により黄梅院が宗家である毛利家の菩提寺となり、墓所がある。
- 戦国時代に郡山城を拠点として中国地方のほぼ全域を制覇し、一代で大国を築き上げた「戦国の雄」と称された織田信長の最大のライバルの戦国大名
など。
終わりに
最近話題になっている大河ドラマ「光るの君へ」も手伝って
歴史の風が吹いているよう。
これからの紅葉の季節に訪れてみてはいかがですか?
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