こんにちは、ロデニの娘です。今回は長年の友まむたんのアドバイスから我を語る記事になります。とはいうものの、当人的には少し変わってるかもしれないけど全然凡人というのが定義です。
幼少期
普通の子だったろうと思います。両親からも「あんたはねー」なんて言われたことないですし。背後では姉に言いあげているのかもしれませんが、本人は知りません。チビの頃から英語と触れ合っていたのは確かです。よく
と聞かれますが、両親は日本人で、日本語で育ちました。帰国子女説も外れています。
青春期
昭和の吹奏楽部に所属。限りなく体育会系に近い文化系クラブで部活動に勤しんでいました。常に練習なのでほとんど家にいませんでした。振りかえれば青春を謳歌していたな、と懐かしさが込み上げます。後輩に厳しかったかも、でも昭和だし、と思い出のアルバムを閉じます。でも中国大会に出場したんだよー。
進学高校に行っていましたし、女子コーセーというガラでもありませんでした。物理で2回追試を受けて、それでも前◯先生に許してもらってギリの成績をいただいて以来、不得意な教科への注力に抵抗を覚えた時期でもあります。大人になって勉強の大切さを理解しましたが、サインコサインタンジェントだけは未だ筆者の生活の中で実用化されていません。これからもされないでしょう。
無謀期
広島の百貨店でのバイトで社会を学びます。皆さんには本当に可愛がっていただきました。とにかく飲み会の好きな部署でいいおっさんが若い女子社員とはじけまくっていました。まむたんと渡米したのもこの時です。渡米前の1ヶ月間はほぼ毎晩飲み歩いていました。
酔っ払ってやばいおじさんの肩をどついてしまったこともありますし、海に行って全身大火傷をしたこともあります。鳴らないポケベルをじっと見つめていたのもこの頃です。
今もビールが好きですが、あの頃一晩で5リットル飲んだり、Early Timesでdrinking gameをしたり、まだしじみオルニチンが世に出ていなかったのによくあんなに飲めたのはひとえに若さ、です。でもウコンや熊笹にはお世話になっていました。熊笹はおすすめです。
終わりに
恥ずかしいですね、こうして自分のことを歴史化すると。武勇伝なんてありませんし、筆者の歴史なんてこんなもんです。そのうち無謀期を過ぎた冒険期も綴ってみようと思います。これからもよろしくお願いします。