滞在が長くなるとじわじわと思い出してき始めたJapan語ですが、「反面教師」というのをご存知ですか?
悪い見本として学ぶべき人。その人自身の言動によって、こうなってはならないと悟らせてくれる人。
コトバンクより
これを考えついた人、すごい。
本当に「反面教師」から学べるのか?
「あぁはなりたくない」
というのが普通の反応だろうと思うのですが、人間は得てして「気になるものには惹かれてしまう」習性があるようです。
例えば、いつも腹が立ってしょうがない人(反面教師)のことを考えていると次第にじわじわとそちら方向に自身を持っていってしまう、とどこかで読みました。
こわ!
個人的にはいいお手本(role model)が近くにいて欲しいです。
話変わって
先の記事でもお伝えしたのですが、忙しいのです。
というのも、とある人と出会いまして、それ以降筆者は今までのだらだらトルコ式ライフスタイルが一新されて、エッらい忙しくなりました。
その人との出会いは筆者の内で消えかかっていたキャンプファイアーに灯油をぶっかけてくれたような、とても衝撃的なものでした。
ミーティングの趣旨がねじれて、なぜか人生相談になり、がつーんと筆者の頭をぶん殴ってくれて、目が覚めた感覚でその場を去ったのを覚えています。
けれど筆者は自分に優しいので、これまでもやがかかっただらだらライフスタイルが時間の無駄だった、とは思いません。
あれはあれで必要な時間だったと思うのです。
もやの中であーだこーだ堂々巡りを繰り返し、確信の持てない未来について理由付けをしてみたり、それもあっての今、と考えています。
Kさんとの出会いは本当にご縁を感じずにはいられません。
話戻って
皆さんの身近に反面教師はいますか?
いたら、ええ具合の距離を開けるといいと思います。
けれど反面教師の口から出る言葉を間に受けてはいけません。
さらーっと聞き流しましょう。
ブロックしているつもりですがやはりその存在を感じずにはいられない自分がいるのは重々承知ですが、なるべく程よい距離を置きましょう。
終わりに
忘れてはいけないことは、反面教師の目にどのように自分が写っているか考えてはいけないことです。
そしてそんな思考や反面教師自体に飲み込まれてはいけないのです。
跳ね返すにはやはりラブと軽度の挑戦でしょう。
ちょっと困難なことをしているとアホな反面教師の存在などぶっ飛んでしまいますし、「軽度な挑戦」から何かが必ず生まれます。
実は筆者のやっていることは軽度ではない重度な挑戦なのですが、
なんか生きてる
って感じるんです。
Mでしょうか?