こんばんは、ロデニの娘です。今回は「母」について綴ってみたいと思います。お付き合いください。
母性とは
お母さんとの付き合いはお腹の中から始まるのでやっぱり関係は近いものになるのは当然かもしれません。筆者は母ではないのですが、ペットを持つと何故かばなな君は筆者をお母さんと呼ぶのでペット達にとっては筆者はお母さんなのでしょう。
彼はマヤを(自分の)子供と呼び、筆者以上の親バカぶりをたまに披露してくれます。個人的にはあまり良いとは思わないのですがよく他のフレンチブルドッグと比べて、
筆者がトルコにいたときはマヤは基本筆者とずっといたのですが、やっぱり「お父さん」が一番好きなのか、ばなな君が登場する時と筆者が家を空けて帰ってきた時の対応が違います。
彼女なりにランキングはあって、きっと彼女がばぶばぶパピーの時のトイレトレーニングの鬼教官はやはりトップではないのです。彼女の健康を考えてのドッグフードの量よりもばなな君があげる1.5倍の方が良いのです。
けれど筆者とばなな君が喧嘩をするときはいつも筆者サイドにひとっといてくれます。自分が怒られているのではないのにしょんぼりして筆者の元に来てくれるのですが、喧嘩中はなかなか宥めることができず、何だか複雑でした。
これって犬が子供ってだけで、普通に家族なんだろうな
と今、何となく思います。マヤは子供が苦手な筆者に母性とはなんぞやを教えてくれている気がしました。それなのにこうして別の国で過ごしているのですから、事情があるにしろお互い辛いです。
手に取った本
秋にトルコのアパートを一旦撤収したのですが、そのときものすごい数のものをこんまりった後筆者のスーツケースに入れたラッキーなアイテムの中に一冊の本があります。近所のスーパーで買った子供向けの本で、買ってからおそらく2年は経つだろうと思います。どうりでトルコ語が上達しないわけですね。その本をメルカリで売ってやろうと手にとったわけなんです。でもちょっと開いてみました。
小さなお話が何話か紹介されてまとめられているこの本の第一話目の冒頭は、
セガブ(という子)のおかんは11歳の時に死んだ
きっつ!
そっから始めるんかい、と少し取り乱してしまいました。これ子供に読ますん?と疑問に思ったのですが、これはバンビフォーミュラと言って、大ヒット映画の王道的冒頭なのです。
まずとても大事な存在である母を殺したり、別れ別れにして降板させるバンビフォーミュラは名作バンビだけでなく、シンデレラ、ファインディング・ニモ、母を尋ねて三千里と枚挙にいとまがありません。
それだけでかい試練を乗り越えて主人公は大きくなっていく、という筋書き、現実起こったら辛すぎでしょう。本当にそんな境遇で生きている人達、強いです。人間どうやってもお母さんの影響を受けて大きくなっていくので、そんな存在がないのは実に大変だろうな、と考えます。ぜひ周りの人たちから愛されてもらいたいものです。
終わりに
まさか自分が母親のようなことをするとは夢にも思わなかったのですが、こうなったことで母とはなんぞや、というのを本当に学んでいるのです。お母さんだからこう、もあると思うのですが世の中いろんなお母さんがいるわけで、ひとそれぞれ大事なことが違いますから個人のスタイルに任せて良いのではと勝手に思います。
たまに姉とぴよぴよをみて姉も立派な親だなぁと感心したり、他の筆者の友人達もそうです。お母さんという特別な存在になれるって、女の特権でしょう。
早く家族に会いたいです。