大病イコール死という方程式は簡単に理解できますが、健康でもやはり死は訪れるのです。
またもや悲しいお知らせが舞い込む
知っている人にがんが見つかり、少ししゅんとしています。
タバコ吸いによく見られる肺がんにかかってしまったそうです。筆者も父、ロデニをこれで失いました。
タバコ吸いが肺がんにかかるという方程式は簡単に理解できるのですが、どうやら当の本人は自覚がないようです。タバコのパッケージにもタバコ会社から「がんにかかる可能性がありますよ」なんて警告があるのに、読んでか読んでいないのか、平気ですぱすぱと吸っています。
ニコチンは中毒だ、と世間では当たり前のように扱われているのに、やはり当人たちは「いあ、やめられないんだよ」と開き直っているように思えます。
他のドラッグやアルコールなどが問題視されているのにタバコがここまで軽視されるのはどうしてなのか?とよく思います。
いきなりやめろ、というのはきっと大変なので控えるとか、方法はあるんじゃないかなぁと思うのですが、中毒とはそんな生やさしいアプローチではダメなようです。
タバコ吸いが肺がんにかかるといわゆる世間で言うところの「自己責任」「自業自得」視なのかもしれません。とはいえ、お知らせを聞いた時は可哀想だなと感じてしまいました。
それ以来少し肺がんについてGoogleに聞いてみたのですが、タイプと進行によるのですが、やはり結構やばいようで、その人はすでにリンパにも転移が見られたようなので、かなりやばいと推測しました。
色々な癌センターなどの機関によると放射線治療や薬物治療が主流になるようで、余命も長くはない、とのことです。かなりやばい状態ということが色々なサイトからわかってきました。
愚か者byまっち
(昭和人ならわかるかもしれません☝︎)
とはいえ、がんにかかろうと健康バリバリであろうといずれ死はやってきます。
けれど愚かな人間どもは他人の死はいつも他人事でなぜか自分には当分やってこないと受け取ってしまいがちなのです。
筆者は在米中たくさんのキャンサーサバイバーと出会って、ほとんどの人が
It was a wakeup call. I can’t waste my time by being unhappy. (命と時間の大切さを知らしめられたわ、ぐずぐずとアンハッピーになって時間を無駄にはできないよ)
本当にがん経験したの?というくらいバイタリティーに溢れてらっしゃいました。
やはり生死を彷徨った人でないとわからない命と時間の大切さなのかなぁと考えさせられました。
かくいう筆者も子宮頸がんをして、幸運にも超早期発見で摘出してしまえばとりあえずはOKという経験をしました。
本当にラッキーで、手術でなんとかなりましたし、そこまで転移や再発の恐れの大きいものではなかったのです。
けれど昨年の検査結果(がん宣告)を聞いた時のショックは小さいものではなかった気がします。動転して泣き崩れはしなかったものの、現実無自覚だったとはいえ、例えば死への恐怖が襲いかかったとか、手術への不安があったろうと思います。
この間肺がん宣告を受けたその人、そしてその周りの人はどう感じているのだろうか、と考えたりします。
その人はなんとなく筆者の父ロデニがぼやいていたやつを言う人でもありました。
ロデニは、
わしぁあと3年しか生きれん
重度のかまってちゃんでウザがられたロデニ。そんなに死にたいのか?と幼い頃思っていました。
その人はそうとは言いませんでしたが、「自分は死ぬ、でもみんな3日悲しんで自分を忘れていく」と呟いたのを覚えています。なんちゅー後ろ向きな人、と感じずにはいられませんでした。
終わりに
いつ死んでもいいように、とはいえませんが、そこそこ後悔のないように毎日を心地よく過ごせたらとそんなことを考えています。
だから今年は人生初の「ゴールデンウィーク中に大きな旅行をする」ということをしてみることにしました。昨年はクルミ母のところでお世話になったのですが、今年は飛行機に乗ります。
空港へ向かう高速道路の大渋滞が予想されますが、それも旅の醍醐味、受けてたとうではありませんか。
死に際に「あん時楽しかった〜」とニンマリしたいのです。