こんばんはロデニの娘です。今回は筆者がアメリカで学んだ数ある中の一つをご紹介したいと思います、お付き合いください。
話すということ
筆者も若い頃はJapan人をしていたので「言わなくてもわかる」とか、「口数の少ない朴訥な人」とかに美を感じていました。けれどアメリカではしゃべってなんぼ、というか、喋らないと理解してもらえないというのが筆者がぶち破らないといけない大きな壁でした。「寡黙な人」はよほど人徳がないとつまらない人扱いされてしまうのです。
話すのが苦手で、その上に母語でない言葉で話さないといけないことはとても大変でした。アメリカの現場の同僚からも
しゃべろ
とよく言われたものです。何を喋ればいいか分からないという質問の答えは、
なんでもいい(一番困る答えですが)
現場で会う人はほぼ女性でしたので、とりあえず聞き手になってみました。そして相槌、さらに思った事を言う、そんなこんなで筆者も少しずつ話せるようになってきました。
そう言ってくれた親切な方もいらっしゃいました。
吐き出すというカルチャー?
筆者はクリスチャンではないのですが、周りに沢山クリスチャンがいて色々学びました。彼らがやっているConfession(懺悔)について初めはとても疑問を持っていましたが、大人の階段を登るようになって悩みが多くなって、悩みを打ち明けるという行為がいかに有効か知ったのです。(※懺悔に否定的な人は「ああやって自分の悪いところを一生懸命探さないといけない自己否定させるひどいもの」といったりもしますが。確かに毎週はキツいでしょう)
言わずにずーっと封印しているより言ってしまって解放される、というやつです。彼らはそれを教会という「セーフな」ところでやって苦しみから解放されているのでしょう。悩みが解決されなくてもいいのです。とりあえず言って、ちょっとスッキリするのです。
AAミーティングもその進化系で、告白してみんなと体験を共有してみんなで支え合っているというシステムですね。自分で声に出して言えば認めざるをえないものありますし、繰り返しますがちょっとスッキリして次への第一歩が踏み出せるのです。
なので筆者は機会があれば今の自分の癌について話しています。もやもやがあるわけではないですし、別に同情が欲しいわけでもないのですが、隠すものでもないし、気にしていません。そうすると、
なんて言葉がよく返ってきます。今日も現場でそんな方とお話しして、彼女の体験談を聞いて二人で笑い転げてしまいました。彼女はもうずっと昔に患っていて、思い出話兼筆者を怖がらせないようおもしろおかしく伝えてくれたのかもしれません。
それでいいのです。
愚痴と悩み相談の境界線は一体どこだ?とよく考えるのです。どこだっていいのですが、大切なことは安心して話せる人を持つことと勇気を持って打ち明けることだろうと筆者は考えます。流石にどうでもいい人には話しませんよね。
終わりに
アメリカには弁護士と心理カウンセラーが星の数ほどいます。そんなカルチャーなんでしょうね。けれど筆者はそこで「打ち明ける、相談する」大切さを学びました。昨今はついすぐに検索してしまいがちですが、生身の人間と話すのもいいかもしれません。